下村裕(ゆたか)第19回卒(昭和44年卒)  

 

そっと目をつむり、過去へ思いを走らせ中学校時代ワープする。

担任先生から高校進学の話があった。今度から池新田高等学校へ行ける希望者は申し出て下さい。

確か、父も叔父さんも池新田だった。

先生に「父が行った学校へ自分も行きます。」先生は非常に喜んでくれて自分も嬉しかった。

池高へ入学したが大学とか就職とか頭の片隅にも無かった・・

時が過ぎ仲間から大学へ、行く?どうする?少しだけ考えるようになり、設計が好きだからそちら方面にしようかな?でも何かしっくりしない。

美術好きだから美術系の学校に、そう考え親に相談した。美術は絶対ダメだ!猛反対され友達に相談。「行くとこ無くなったよー。」

友達は電気大学へ。私の分の願書迄一緒に取り寄せてくれた。

しかし諦めきれず両親に脱得を続けたが結局友達と一緒の学校へ行く事になる。

大学同等の専門学校だった。短期関で学べるからだと、電気関係へ方向転換して大丈夫かな少し不安だ。

入学時140名余りのクラスメートの前で自己紹介をさせられた。

静岡県から来ました。高校は池新田高等学校です。

一人が「池と田んぼで田舎もんだなー」思わず「田んぼじゃ無く新田です」全員に笑われた。

大好きだった池高・そしてクラスの仲間たち、先生や先輩後輩、街の人。福に。猫に・・・

なんか皆バカにされたように感じて悔しかった。

皆良い処知らないから可哀そう。

確かに東京に比べ池新田は田舎だ。

でも自分たちの先人たちは田舎人でも敬養を付け地域を良くしようと学校を作り頑張って繁晴らしい人違を生み出してきた。

それをバトンダッチし繋げて来た。

これからも永遠に繋げ続けて欲しい。未来へ

 

観光協会 会長