平野志織 昭和33年度卒

 

温かな進路指導

 

中学生の頃から学校の先生になることにあこがれていた。

しかし、貧しい家庭に育った私には教師になることなど高嶺の花だった。

そんな中、中学の先生の計らいで日本育英会予約奨学生の資格がとれ受験できた。

交通費なしで通学できる徒歩10分の池新田高校に通わせていただけることになり一歩前進。

しかし、教員免許を取得するためには、大学に4年間在籍しなければならない。学費のみならず生活費も必要になる。

高校の授業料すら奨学金でやりくりしたわけだから、大学進学など前途は絶望的であった。

その私の悩みを察知して、何とか希望を叶えてやりたいと動き出して下さったのが担任の先生とその周辺の若手の先生たち。

まず、奨学金のことで高校で借りた分は、大学を卒業するまで返済の延期ができ、更に大学4年間も奨学金を借りることが可能なこと、生活は学生寮があり下宿よりずっと経済的であること、そしてアルバイトができること等をより具体的に調べて教えて下さった。

更に嬉しかったのは、担任の先生が父親の在宅時間に合わせて夜間であろうと詳しい説明に来てくださったことである。

極めつけは、当時の校長先生でいらした渡水先生であった。

当時私は、音楽の教師になりたいという夢を抱いていた。

しかし、前述の通り貧しい家庭に育った私には、ピアノはもとよりオルガンすらなく手にできたのはハーモニカだけ。それでも中学生の時に器楽部に所属し、音楽室のオルガンを自由に弾かせてもらうことが出来たので少しだけ鍵盤になれてバイエル教則本のみ自己流で弾けるようになった。

静大教育学部音楽科中4コースの試験には実技試験が含まれ、ピアノと歌唱が私の前に大きく立ちはだかった。自己流でもやるしかないと自分で決めた教則本の1曲をとにかく夢中で練習した。それを見かねた校長先生が、先生のお嬢さんを指導しているピアノの先生に私の指導をお願いして下さり校長先生のお宅で生れて初めて個人指導を受けた。極度に緊張したこととお礼に家で取れた新鮮な野菜を差し上げたことだけが記憶に残っている。

受験結果は当然×で幼少の頃からピアノに慣れ親しんできた人たちとは立ち位置から違っていたに違いない。他の教科で入学し音楽は2級免許講義の重なりがじゃまして1級取得にはいたらなかった。しかし、たった1回だったけれども校長先生のお宅でピアノ指導を受けることができたあの日の感激は胸に刻み込まれ、60余年たった今も鮮やかに甦る。試験当日よりもずっとずっと鮮やかに!!

このように進路についても大変細やかな配慮がなされ、1人でも多くの希望達成者を出すべく先生方が努力される姿があった。

田舎の三流高校とも言われてきたけれど、その裏返しにあるものが温もりのある学校全体のムードではなかったか。

 

小中学校教員(昭和37年~平成5年)