鈴木 與七(すずき きひち) 昭和25年卒 高農2期

  

池高時代の私の思い出

 

池高新聞を創刊したり、小笠郡内五高校の生徒に依って機関紙「萌樹」を出版したりしました。

私は文化祭では雑誌部に籍を置いて居ったが、名ばかりで、当時は3年生部員数人おっただけの休眠部で全然活動の兆しがなく、2年生の私が、当時の顧問の丸尾邦夫先生の許可を得て、解部して再編したが、何分知識も経験もなく、暗中模索で活動を始めました。

編集や校正をやり、自転車で相良町波津(今の牧之原市)の、藤田印刷所に足を運び、色々と印刷や活字拾いを教えて頂きながら、池高新聞の創刊にこぎつけました。

当時一緒にやった植田栄一氏、鈴木秋男氏、大石憲司氏はもうあの世に旅立ちましたが、斉藤(鈴木)秀夫氏は現在御前崎市に在住しています。当時の思い出を残すのが私の勤めと思って筆を取りました。

私の人間形成は、この時出来たと信じて居ります。私は仕事の関係で浜松市に在住して居りますが、当時の経験が役立っています。

浜松市長上地区連合会長、市防災委員等の任につき頑張っています。又、体力作りの為にマスターズ陸上の現役ランナーであり、陸上競技協会役員、審判員も務めさせて頂いて居るのも、池高当時の経験が、七十年過ぎた現在も残っています。

やはり部活動をして良かったと思っています。