同級生異国の地に花咲く
赤堀君がブラジルに渡ったのは昭和35年、池高を卒業して2年ほど経った時であった。
正直言ってよく決断したものだと彼の思い切りに驚かされた。
日本を離れる日、私は前日東京に出て在京の同窓生と夕食を共にしながら未知の世界へ不退転の覚悟で挑戦する赤堀君を見送った。
横浜での見送り、移民船ぶらじる丸、我々見送る関係者も乗船が許され、赤堀君家族が数か月の船旅に使う部屋まで公開してくれた。
送る者、送られる者、汽笛が鳴ってぶらじる丸は横浜の埠頭を離れていく。
あたりの景色が一変するほど別れのテープが舞う。まさに歓呼の声、そして、また声。
私は胸の中で彼の成功を祈るのみ。岸壁を離れたぶらじる丸が遠く見えなくなるまで彼の大成を祈りながら見送った
あれから60年余り、赤堀君の話によれば、はじめに入植した所はブラジル、バイヤ州、カラベラス。ずいぶん内陸の地で、ここで野菜作りやココナツヤシを栽培したが思うように成果を上げることができず、次にサンパウロに土地を求めて牧場のかたわらアパート経営に携わったと言う。
当時数か月の船旅でも、今ではサンパウロ~名古屋間直行の飛行機が週2便もあると言う。まさに隔世の感である。60年の歴史は池高同窓生人生の歴史でもある。
鈴木俊夫記
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